ブックタイトルメカトロニクス1月号2020年

ページ
45/52

このページは メカトロニクス1月号2020年 の電子ブックに掲載されている45ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

概要

メカトロニクス1月号2020年

MECHATRONICS 2020.1 45日本の産業構造の変化にともなう電子機器分野の話題商品を追う第19回 <経済環境の変化でモノづくりの拠点が変わる>で並んで購入するなどIT 機器に対して熱狂した時期でもあった。事実上、マイクロソフトのパソコンのOSとオフィスは業界のデファクトスタンダードとなった。 これに伴って、インターネット関連企業の実需投資や株式投資は異常なまでにあがった。これはITバブルとも呼ばれるが、米国では“dot-combubble”と呼称された。過熱したIT バブルは2001 年頃、崩壊した。1-5. リーマンショック 2008年9月、大手投資会社リーマン・ブラザーズが経営破綻したことで起きた世界的な経済危機のことで、米国市場のみならず世界市場に大きく混乱をきたすとともに図3に示すように株価が急落した。リーマンショック(米国ではThe FinancialCrisisと呼称)以降、円ドルの為替相場も変動し、円高が進展した。 日本では2009 年7月、政権交代によって経済政策の失政で2011 年10 月には1ドル77 円まで円高が進展するとともに株価は8,000 円台で低迷のままの状況となった。2)2. 産業界への影響と対策 経済環境の変化は産業界に少なからず影響した。その対策を含めて紹介しよう。2-1. 軽薄短小型産業構造への転換 経済環境の変化によって日本の産業構造が変わっていった。石油ショックから立ち直るために、いろいろな科学技術の研究開発計画があったが、実際に日本の産業界が立ち直ったのは、“省エネルギー対策の推進”と“産業構造の転換”によるものであった。 つまり、それまでの鉄鋼やアルミのようなエネルギー多消費型の基礎素材産業にかわり、エネルギー消費の少ない自動車・エレクトロニクスのような加工組立産業とマイクロエレクトロニクスや電子産業への産業構造のシフトが行われた。これを世に「重厚長大型」から「軽薄短小型」産業への移行という。 こうした構造変化が完了した1980 年代前半に入って、脱石油が急速に進んだ。 軽薄短小化を推し進めた典型は、通産省(現 経済産業省)の指導の下でもっとも強力に展開されたのがエレクトロニクスとコンピュータの開発関係であった。1970 年代はじめ、通産省は、これからは既成の産業はアジア諸国から追い上げられるだろうから、日本の産業技術の行方は米国型の高度な知的集約型産業にあると目標を定めて推進した。2-2. 経済環境変化による生産拠点の変化 “石油ショック”、“プラザ合意による円高の進展”、“バブル崩壊”、“ 米国のITバブル崩壊”、“リーマンショック”などの経済環境変化が日本のモノづくりに大きく影響を及ぼした。石油ショックでは産業構造の転換、そして特に為替相場の変動は、国内生産から海外生産へとシフトしていった。 1985 年、プラザ合意以降の円高の進展で、日本企業の東アジアに進出が目立つようになる。その多くが地方圏に展開していた労働集約的な「低価格量産」部門であり、国際競争力を維持していくために、「安くて豊富な労働力」を求めて東アジア諸国に向かった。 当初は“繊維製品”から始まり、次は“家電”、“AV機器”、“OA機器”と続いた。AV機器は、シンガポー図2 ITバブル崩壊による日経平均株価への影響図4 製造業の海外生産比率の推移(国際協力銀行)図1 円・ドル為替相場の推移図3 リーマンショック後の日経平均株価への影響ルからマレーシア、インドネシアへと工場を増設するとともに白物家電や車載機器を含めた自動車関連がタイに、そして、ハードディスクドライブなどのコンピュータ周辺機器はフィリピンへと展開し、その後、多くの企業が中国へと進出していった。 また、需要のある所で生産し、供給することを基本においている電子部品メーカーは相次いでASEAN諸国や中国に進出した。 日本国内で“Made in Japan” 方式で生産し、製品を海外に輸出する方式から脱却して市場のある所で生産するという“Made in Market”が進展していった。つまり、プラザ合意以降、海外進出が進展し、多くのエレクトロニクス企業も進出した。 図4は日系企業の製造業全体の海外生産比率を示したもので、年々、生産比率が上がり、既に35%の海外生産比率となっていることが分かる。 エレクトロニクス業界でも、モノづくりの拠点が海外へと進展し、国内は縮小し、徐々に空洞化する状況となった。国内で生産する電子機器(民生機器+産業機器)のピークは1991 年で16.4兆円もあったが、今や4 兆円の市場規模まで下がってきているのが現状である。この実態からみても分るように経済環境の変化によって日本のモノづくりは大きく変わっていった。<参考資料>1)Pacifi c FX Database  http://fx.sauder.ubc.ca/data.html2)投資の森  https://nikkeiyosoku.com/crash/bubble_economy/