ブックタイトルメカトロニクス5月号2019年
- ページ
- 44/52
このページは メカトロニクス5月号2019年 の電子ブックに掲載されている44ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
このページは メカトロニクス5月号2019年 の電子ブックに掲載されている44ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
メカトロニクス5月号2019年
44 MECHATRONICS 2019.5写真5 トランジスタラジオ(東京通信工業/TR-55) 写真6 接着剤付き銅箔 日本の産業構造の変化にともなう電子機器分野の話題商品を追う第11回 <プリント配線板の登場>連 載 1950 年代になると家電製品の登場により、多くの配線板が必要となり、いかにして効率良く配線するかが課題となってきた。家電製品を作る上で配線は重要な「要の技術」であった。 当時、配線は写真1に示すように“ジャングル配線”とも言われ、部品と部品とを電線でつなぐ方式で、手工業的な金属シャシー内の電線による配線組立に頼っていた。しかも配線が多くなるほど誤配線が起き易い時代であった。 くもの巣のような配線を、人手を使って作る手工業的生産方法から脱することが必要であった。誤配線を防ぐことも必要であった。 そこで登場したのが“銅張積層板”を使って銅箔部分をエッチング加工して回路を形成する“ 印刷配線板”という方式の配線方法であった。 なお、方式は異なるが、古くは1936 年に宮田喜之助がメタリコン吹き付け配線法の特許(特許第119384号)を出願し、この方式で生産した配線板(写真2)は四球ラジオ(写真3)に使用された。これが日本で一番古い配線板の実用例である。1) この特許が出願されていたために日本に対して特許抵触が言われてなかったとも言われる。特定非営利活動法人 日本環境技術推進機構 青木 正光 初期の頃は、“ 銅張積層板”は“ 銅貼積層板”と呼称されていた。銅を基材に貼り付けるという意味では、“銅貼積層板”が的を射た表現ではないかと思う。 1958 年に発行された東芝レビューに掲載された論文には、「プリン卜配線(1)<東芝銅貼テコライト積層板を中心にして>」、同年、第5 回大河内賞の技術賞において「プリント配線用銅貼張積層板の研究と実施」の題名で東京芝浦電気が受賞している。いずれも「銅貼」の用語が使用されている。2) なぜ、“ 銅貼積層板”が“ 銅張積層板”になったかというと1963 年に策定された「印刷回路用銅張積層板JIS C-6931」の原案を出す時に誤って“ 銅貼”を“銅張”にしたために、以降、銅張積層板の呼称になったという。面白い裏話がある。1) 当時、写真4に示すように真空管を使ったポータブルラジオ(1954 年)であったが、日本初のトランジスタ・ラジオ(TR-55)を1955 年に商品化したのは東京通信工業(現 ソニー)であった(写真5)。しかし、残念なことに世界初ではなかった。 米国のリージェンシー社が5石トランジスタ・ラジオ(TR-1)を前年の1954年に発売していた。そして、このラジオにプリント配線板が使用されていた。東京通信工業の盛田昭夫氏は、当時これを見て、電気回路は、これが主流になると判断しプリント配線板用材料を輸入して生産販売を開始している。3) 当時の技術雑誌への広告(写真6)を見ると米国のラバー・エンド・アスベスト社から接着剤銅箔(Plymaster)を紙フェノール銅張積層板、紙エポキシ銅張積層板、ガラスエポキシ銅張積層板などの用途として、6銘柄をソニーが日本総代理店になって輸入販売している。 さて、このように登場した銅張積層板は、紙フェノール銅張積層板から始まって、紙エポキシ銅張積層板なども製品化されて発展していく。 1950 年以降に登場した電子回路基板関係の技術/市場動向を体系化すると表1のようになる。1950 年代初頭頃から紙フェノール銅張積層板が生産されるようになり、本格化していく。そして1960 年代にはガラスエポキシ銅張積層板などが登場し、プリント配線板も注目を集めるようになり、1962 年には日本プリント回路工業会(JPCA)が設立され、会報も発行され、発展していく。 1963 年には、日本アビオトロニクスが米国ヒューズ航空社から技術導入してスルーホール方式の多層板の生産体制に入る。 それ以降は、ガラスエポキシ銅張積層板を使った多層プリント配線板へと進展していった。1967 年に、プリント配線板の売上規模は全国で100億円を突破することになる。 1969 年になると日本メクトロンが米国のロジャースからFPCに関する技術を導入、翌年の1970 年になると凸版印刷が米国のビューロー社からプリント配線板の技術を導入して生産技術力を高めていくことになる。 初期の頃は、輸入銅箔を使用した紙フェノール銅張積層板が主流であった。輸入銅箔を使っていた時代は、船便で日本に来るのと使用するまでの間、保管する期間があり、使って品質問題が発生すると3ヵ月の保証期限が過ぎており、返却することもできず泣かされたことがある。特にガラスエポキシ銅張積層板では、1970 年代に輸入箔でブラウンスポットの問題が発生したことがある。 紙フェノール銅張積層板では、1959 年には国産化して国産接着剤付き銅箔を使った紙フェノール銅張積層板が生産できるようになり、その後、日本の銅箔メーカーの躍進により国産銅箔が当たり前となった。写真1 ジャングル配線写真2 メタリコン吹付配線板写真4 真空管ラジオ(東京芝浦電気/コンパニオン)写真3 四球宮田ラジオ