ブックタイトルメカトロニクス9月号2018年
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メカトロニクス9月号2018年
MECHATRONICS 2018.9 45のころは藁葺の家であったので如何に大規模な工場であったが想像できる。 富岡製糸場は1987年まで115年間の間、操業した。蚕から絹繊維をつくり、絹織物として海外へ大量輸出して外貨を稼いだ。明治初期、生糸増産のために先進地の視察を行う際には、器械製糸は富岡製糸場に、養蚕技術は田島弥平に学ぶのがモデルコースであった。富岡製糸場の外国種などの試験飼育の要請に応え、繭品種の改良や統一運動に協力した。 一方、アメリカは日本製絹繊維に対抗して1938年、デュポンのカローザス博士が世界で始めてカーバイド化学からナイロン繊維の合成に成功し、ナイロンの登場により、戦後、日本の“ 絹産業”は大打撃を受け、繊維産業が衰退するきっかけとなる。2) これに対抗し、1939年京都大学の桜田一郎、李升基(韓国人)、鐘紡の谷矢田氏などが石炭化学から合成繊維の“ビニロン”を発明し、強靭性であることから“ロープ”、“ 学生服”など加工され、その後のポリエステル繊維の開発に繋がった。 ビニロンの原料の ポリビニルアルコール(PVA)は改良されて、光学的特性を生かし、クラレ、ユニチカ等が液晶の偏光膜などに採用されることになる。 繭から始まった技術は、繭→絹→合成繊維→光学フィルム→液晶モジュールへと受け継がれていき進化したことになり、これらが今や電子機器の話題商品に使用され、裏で支えられていることになる。3. 鉱物資源 足尾銅山は、1610 年(慶長15 年)に百姓二人が備前楯山で鉱床を発見したことによって、幕府直轄の鉱山として本格的に採掘が開始された。 銅山で栄えた足尾の町は「足尾千軒」と言われるまでになり、欲しいものを買いたければ足尾に行けば良いとも言われた程、栄えたという。 江戸時代にはピーク時で年間約1560トンの銅産出量であった。その後一時採掘量が減少し、幕末から明治時代初期にかけてはほぼ閉山状態となっていたものの1877 年に古河市兵衛は足尾銅山を買収して経営に乗り出した。 数年間は採掘の成果が出なかったが、1881 年に鉱脈が発見され、その後、探鉱技術の進歩も手伝い、次々と有望鉱脈が発見された。1884 年頃には足尾銅山は日本の銅産出量の約40%の生産を上げる大銅山に成長した。1917 年に足尾銅山での採掘のピークで 15735トンの銅産出量となった。そして20世紀初頭には多くが海外に輸出された。 当時の明治政府の富国強兵政策を背景に、銅山経営は古河市兵衛の死後は古河鉱業が経営した足尾銅山、久原財閥の日立鉱山、住友家の別子銅山とともに急速な発展を遂げた。 しかし、この鉱山開発と製錬事業の発展の裏では、足尾山地の樹木が坑木や燃料のために伐採され、掘り出した鉱石を製錬する工場から排出される煙が大気汚染を引き起こし、さらに製錬による廃棄物が渡良瀬川に流れ、流域の平地に流れ込み、水質/土壌汚染をもたらした。いわゆる、鉱害の元祖とも言われる足尾鉱毒事件である。1891 年、田中正造による国会での発言で大きな政治問題にもなった。 その後、足尾銅山に関しては1973年2月28日をもって採鉱を停止し、銅山発見以来360余年の銅山を閉じた。現在は足尾銅山観光などの観光地となっている。閉山後も輸入鉱石による製錬事業は続けられたが、1989 年にJR 足尾線の貨物輸送が廃止されて、以降は鉱石からの製錬事業を事実上停止した。4. ヨウ素資源 資源小国日本にあって、日本が世界第2 位の生産量を誇る資源がある。ハロゲン元素の1つのヨウ素である。ヨウ素は、1811 年フランス北西部のブルターニュ地方で海藻灰から発見された。その後、海藻を原料とするヨウ素産業はヨーロッパ中心に発展した。 ヨウ素は、チリではチリ硝石の副産物として生産される。一方、日本では天然ガスの生産の際に汲み上げられる地下潅水と呼ばれる塩水から生産され、その生産シェアはチリで約60%、日本で約28%になり、この2ヵ国で世界のヨウ素の生産量の約90 %を占める。3) しかも、国内生産量の約75%が千葉県で生産されている。明治時代、千葉県、神奈川県、三重県などの海岸地域でヨウ素の生産が行われたが、その中でも千葉県は最大の生産量を誇っていた。 しかし、チリのカリーチを原料としたヨウ素生産の勃興により1950 年頃には幕を閉じた。その後、ヨウ素の原料は千葉県で天然ガスの生産のために汲み上げられる地下潅水(3%塩水)へと変わった。原料の転換とともにその製造法も大きく変貌した。 現在、国内のヨウ素生産量は9500トン(2013年)で、そのうち75%が千葉県、残り14 %が宮崎県、11 %が新潟県で生産されている。 千葉県では、ヨウ素は天然ガスとともに地下500~2000mから汲みあげられる地下潅水に含まれるヨウ化ナトリウム(NaI、100~150ppm)から製造される。 世界最大のヨウ素生産国はチリで、カリーチと呼ばれるチリ硝石の塊にはヨウ素が、ヨウ素酸ナトリウム( NaIO3)、ヨウ素酸カルシウム(CaIO3)などのヨウ素酸塩(IO3-)の形で約400ppmの高い濃度で含まれている。 2013 年のチリのヨウ素生産量は20000トンで、このほかに 米国、インドネシア、ロシア、アゼルバイジャンなどでも生産される。 千葉県の房総半島を中心に明治時代から行われた海藻を原料にしたヨウ素の製造法は灰化法である。その後、原料が潅水に変わってから銅法、活性炭吸着法、溶媒抽出法、デンプン法などの様々な方法が開発された。 世界で2 位を誇るヨウ素の生産規模は、余り知られていない状況でもある。5. 森林資源 日本の国土は山に囲まれ、平野が少なく人口がどうしても平野に集中する傾向がある。逆に言えば山に囲まれているということは森林資源が豊富にあることになる。 日本の森林面積は2500ヘクタール(25万平方キロメートル)で国土の約69%にもなる。つまり日本列島の3分の2が森林である。森林率では世界でも20 位に位置付けされる森林国でもある。 森林面積を林種別にみると天然林は約1352 万ヘクタール(森林面積の55%)、人工林は約1025万ヘクタール(森林面積の42 %)、その他(竹林等)約82 万ヘクタールとなっている。 日本では、木材生産量の減少で、人工林が伐採されていないために容積が増加している。1966年と比較すると2000年は約2倍となっているという。 林業が衰退したのは、外材(輸入材)とのコスト競争力に負けたのが最大の要因である。林業の衰退に伴って、荒れた人工林問題がある。人工林の荒廃に歯止めをかけないと将来、問題となる可能性がある。 一方、他の国の森林率を比較してみるとエジプトが0.1%、イラクが1.9 %、イギリス13.0 %、中国が22.2 %、インドが23.8 %となっている。かつての文明の中心地であった地域の多くが、森林が減少しているのである。 また、ドイツが32.7 %、アメリカが33.9 %、カナダが38.2 %、ロシアが49.8 %であり、世界の平均がおよそ31 %ということからすると、日本の森林率は極めて高いと言える。 日本より数値の高い国やほぼ近い国は、熱帯雨林を抱えるアフリカ諸国(ガボン 89.3 %)や南米諸国(仏領ギアナ 98.9 %、スリナム 98.3 %、など)や「森と湖の国」で有名なフィンランドは73.1 %、スウェーデンが68.9%、韓国は63.4%となっており、森林率の高い国は、ごくわずかである。 また、さらに、日本では神道や仏教の信仰が、山岳に寺院や霊場を設置しているために、森林の保存に力を尽くしていた伝統も大きく寄与していると思う。今でも神社仏閣には多くの老樹が残っており、この極限の状態を「極相林」と言われている。 日本の森林が最も荒れていたのは、江戸時代末期から明治時代中期であったらしい。集落に近い天然林が伐採され、各地に禿山が出来てしまった。1960年代になって、山奥の天然林が伐採された代わりに杉、檜が植栽され、それらが、今や最も成長する時期を迎えているという。 成長する時期を迎えて嬉しい話しではあるが、林業の不振で、製材施設、貯留基地、搬送施設等のインフラも衰退してしまった問題も残されている。 これらのシステムの再構築も必要となってくると思う。 特に植物は、光合成により大気中から「炭酸ガス」を吸収し、「酸素」を放出する。植物体1kgをつくるのに約1.6kg の「炭酸ガス」を吸収し、約1.2kg の「酸素」を放出するという。陸上の巨大な植物である樹木、特に森林については、地球の温暖化の原因といわれる炭酸ガスを固定する大きな貯蔵庫であり、同時にその他有機物質の吸着/吸収を行い、空気を綺麗する浄化作用もある。 現在、資源の大半を海外に依存している状況であるが、日本に存在した資源として、「石炭資源」、「鉱物資源」、「生糸資源」、「ヨウ素資源」、「森林資源」について紹介した。これらの資源の一部は、一時期、日本が発展するために活用されたと言っても良いかと思うし、森林資源については今も目の前に豊富にありながら放置されているのは残念である。何とかしなければならないと思う。<参考資料>1. 武井 豊、“『黒いダイヤ』から『白いダイヤ』へ” エレクト ロニクス実装技術 Vol.29 No.9 p35(2013)2. 武井 豊、“「生糸」と「ナイロン」” エレクトロニクス実装 技術 Vol 30 No.12 p55(2014)3. 海宝龍夫、“日本が資源大国? それはヨウ素” 化学と教 育 Vol.64 No.5(2016)日本の産業構造の変化にともなう電子機器分野の話題商品を追う第3回 <日本の資源>