ブックタイトルメカトロニクス7月2018年

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概要

メカトロニクス7月2018年

44 MECHATRONICS 2018.7   日本の産業構造の変化にともなう電子機器分野の話題商品を追う第1回 <江戸時代の変遷>新連載 「話題商品を追う」のシリーズを開始するにあたり、まず最初に、日本の産業構造の変化がどのように展開されていったかを解説する。その変化の中で、様々な「話題商品」が時代ごとに出現したかを明らかにし、「話題商品」は、電子機器を中心に紹介する。 それでは、まず江戸時代の時代変化の動きから紹介する。1.江戸時代 江戸時代に1万石以上の領土を保有する封建領主である大名が支配した領域を「藩」と呼称していた。今と違って江戸時代の日本は大小300もの藩に分かれ、それぞれの藩での教育制度があり、意識も異なり、道徳観も藩ごとに存在するというような時代であった。藩では寺子屋形式の教育が盛んになり、子供たちは近所の寺子屋に通い、「読み、書き、そろばん」を学んだ。幕末には平仮名の識字率は、江戸で8 割を超えるほどになっており、福沢諭吉によると識字率は日本が当時、世界一だとして「通俗国権論」に記述している。 江戸時代、日本は世界有数の「金」、「銀」、「銅」など金属素材の産出国であった。これらの金属は国内で使われるだけではなく、交易を通じておびただしい量の「金」、「銀」、「銅」が海外へ流出していった。 中でも「銅」の輸出量は著しく多く、輸出の高まりはしだいに銅産出の規模を増大させて1697 年にはついに世界一の6000トンに達した。その銅産出に大きくかかわっていたのが足尾銅山、別子銅山、吉岡銅山などの鉱山であった。1) 学問にふれると1622年に我が国最初の数学「割算書」を発行しており、1681 年には関 孝和が円周率を小数点11 桁まで正確に計算しており、日本には高い数学力を保有していた。 1800 年に伊能忠敬が測量を開始し、21 年後に精巧な日本地図(大日本沿海與地全図)を完成させている。 また、1838年~1853年には田中久重(東芝の創始者の一人)が「弓曳童子」(写真1)、「茶運び人形」、「文字書き人形」などの”からくり人形”を製作し、この”からくり人形”は、好評を博し全国で広まった。江戸時代の「話題商品」であったともいえる。 幕末に活躍した藩として、まず薩摩藩の島津斉彬があげられる。薩摩藩は、薩摩・大隅の2ヵ国および日向国諸県郡の大部分を領有し、琉球王国を支配下に置いた藩であった。他藩に先駆けて島津斉彬は、西欧諸国のアジア進出に対応し、軍事のみならず産業の育成を進め、富国強兵を真っ先に実践した人物である。それら事業の中心となったのが、磯に建てられた工場群「尚古集成館」(写真2)である。 尚古集成館を訪問すれば、彼の業績を知ることができ、薩摩藩では藩内の海岸要衝に砲台を設置し海岸線の守備を固めようとした。その砲台は青銅砲ではなく、西欧式の鉄製砲の鋳造を検討し、150ポンド砲(写真3)を製作し、当時の最大砲だったという。150ポンド(68キログラム)の弾丸を約3000mも飛ばすことができるといい、1863 年の薩英戦争では2 門の150ポンド砲が使われたという。復元ではあるが150ポンド砲が尚古集成館の庭に展示されている。 1865 年に竣工した機械工場は、現在、重要文化財となっており、内部は島津家の歴史・文化と集成館事業を語り継ぐ博物館「尚古集成館」となっている。 次にあげられるのが、長州藩である。他藩に比べて階級意識が薄く、高杉晋作は士農工商のすべての階級から兵を募って奇兵隊を編成し、四民平等の概念の基礎をつくったともいわれる。 士族内の上下関係が厳しかったのは、土佐藩で、下級士族から多くの脱藩者を出し、そこから坂本竜馬や中岡慎太郎が誕生した。 坂本竜馬らは各藩を自由に往来し、繋ぎの役割を果たし、その結果、倒幕に不可欠であった薩長同盟特定非営利活動法人 日本環境技術推進機構 青木 正光写真1 弓曳童子(複製) 写真3 150ポンド砲(復元) 写真4 ペリー提督上陸記念碑写真2 尚古集成館