メカトロニクス10月号2012年

メカトロニクス10月号2012年 page 50/60

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50 MECHATRONICS 2012.10<写真3>「限界を超えて」の表紙6)日本産業洗浄協議会専務理事 相模環境リサーチセンター 所長 小田切 力「国連持続可能な開発会議(リオ+ 20)」~(1)“持続可能性”の検討の軌跡~....

50 MECHATRONICS 2012.10<写真3>「限界を超えて」の表紙6)日本産業洗浄協議会専務理事 相模環境リサーチセンター 所長 小田切 力「国連持続可能な開発会議(リオ+ 20)」~(1)“持続可能性”の検討の軌跡~【第127回】 前回の「平成24年(2012年)版環境白書・循環型社会白書・生物多様性白書」の紹介では、主たるテーマとして“グリーン経済”の諸問題を取り上げ、“持続可能性”をキーワードとした環境問題への取り組みを取り上げたが、その原稿執筆の間に、その問題と深い関わりのある国際的な行事が6月に行われた。 それは「国連持続可能な開発会議(リオ+20)」で、2012年6月20日(水曜日)~22日(金曜日)までの3日間,リオデジャネイロ(ブラジル)において開催された。 今から20年前の1992年に、「国連環境開発会議(地球サミット)」がリオデジャネイロで開催され、「環境と開発に関するリオ宣言」やそれを具体化するための「アジェンダ21」が採択されたほか,気候変動枠組条約や生物多様性条約が署名されるなど,今日に至る地球環境の保護や持続可能な開発の考え方に大きな影響を与えた。その20周年を迎える機会に,同会議のフォローアップ会合を行うことをブラジル政府が提案したことを受け,2009年の第64回国連総会でその記念となる会議の開催が決定されたものである。 今回は、その「リオ+20」に関連する情報を「、2012年版環境白書」の情報等を参考にして紹介する1、2、3()写真1)。注1)国連環境計画は、2012年に設立40周年を迎えた。広報誌の最新号は、この節目を祝う特集号で、併せて「リオ+20」を取り上げている。■「リオ+20」に至る環境問題を巡る国際的な動き いまから20年前に、「リオ+20」に至る国際的な環境問題の討議のきっかけが生まれた。それは、1972年にストックホルムで開催された国連人間環境会議であり、その会議を基点として、以後今日まで、その間に“持続可能な社会の実現”テーマを絞った国際的な動きが続けられた。その間の経緯は、“2012年版環境白書”で簡潔に紹介されており、その説明に関連情報を付け加えて以下に紹介する1)。①1972年(昭和47年)2月: 「成長の限界」(ローマクラブ)注2)を発表 急速な経済成長や人口の増加に対して、環境破壊、食料の不足問題とあわせて、人間活動の基盤である鉄や石炭などの資源は有限であることを警告した(写真2)。注2)ローマクラブ:(The Club of Rome)。1970年3月、民間組織の法人としてスイスに設置され、政治に関与しない各国の科学者、経済学者、プランナー、教育者などで構成されるシンクタンク。デニス・メドウズらによる第一報告書「成長の限界」(The Limit to Growth)5)に続いてその続編「限界を超えて-生きるための選択」(Beyondthe Limits)6)、および「成長の限界-人類の選択」(The Limits toGrowth - The 30 Years Update)7)が発表されている。これら3冊の作成に関わったデニス。メドウズ博士(Dennis Meadows)は、“「成長の限界」報告を基盤とする持続可能な社会形成への貢献”により2009年度(第25回)日本国際賞を受賞した(写真3)。②1972年(昭和47年)6月5日~16日:「国連人間環境会議(ストックホルム会議)」開催 環境問題全般についての初めての大規模な国際会議として、ストックホルム(スウェーデン)で開催された(United Nations Conference on the HumanEnvironment、Stockholm Conference) 。スローガンとして“Only One Earth(かけがえのない地球)”をかかげ、環境に関する国際的機構の設立を決議した(後の国連環境計画)。26項目の「人間環境宣言(ストックホルム宣言)注3)」と109の勧告からなる「人間環境行動計画」注4)が採択された。注3)人間環境宣言(ストックホルム宣言):Declaration of theUnited Nations Conference on the Human Environment(Stockholm)。環境問題を人類に対する脅威と捉え、国際的に取り組むべきこととして、環境問題に取り組む原則を明らかにしている。③1972年(昭和47年)12月: 「国連環境計画」を設立 第27回国際連合総会は、総会の補助機関として国連環境計画(United Nations EnvironmentProgramme、UNEP)の設立を決定。UNEPは、国際連合の機関として環境に関する諸活動の総合的な調整を行なうとともに、新たな問題に対しての国際的協力を推進することを目的としている。本部は、ケニアの初代大統領ケニヤッタ(Jomo Kenyatta)の強い要請により、1973年に同国の首都ナイロビ(Nirobi)に設置され、開発途上国に本部を置いた最初の国連機関となった。④1980年(昭和55年)7月24日:「 西暦2000年の地球」(アメリカ国務省・アメリカ環境問題諮問委員会)を発表 カーター大統領(当時)の指示により取りまとめられた報告書。2000年までの20年間に予想される総合的な環境への影響は、人口、経済成長、資源等の見通しに深刻な影響を与えるおそれがあるとした。(「The Global 2000 Report to the President-Entering the Twenty First Century」「西暦2000年の地球」8()写真4)⑤1987年(昭和62年)4月: 「我ら共有の未来」(環境と開発に関する世界委員会)を発表 我が国の提案により国連に特別委員会として「環境と開発に関する世界委員会」が1983年に設置された。その委員会の委員長には、当時ノルウェーの初代女性首相に就任していたグロ・ハルレム・ブルントラント博士が就任した。同委員会は、4年後に「我ら共有の未来(Our Common Future)」を発表した9()写真5)。環境と開発の関係について、「将来世代のニーズを損なうことなく現在の世代のニーズを満たすこと」という「持続可能な開発」(SustainableDevelopment)の概念を打ち出した。⑥1992年(平成4年)6月3日~14日: 「環境と開発に関する国連会議」注5)を開催 持続可能な開発に関する世界的な会議がリオデジャネイロで開催された。世界の約180ヵ国が参加し、「環境と開発に関するリオ宣言」注6「)アジェンダ21」注7()写真6)をはじめとして、21世紀に向けた人類の取り組みに関する数多くの国際合意が得られた10,11)。 また、アジェンダ21の実施を全面的に支援するために、次の2つの機関が、国連の経済社会理事会の下に設置された。・持続可能な開発委員会(Commission on Sustainable Development)・持続可能な開発に関する機関間委員会(Inter-agencyCommittee on Sustainable Development)注5)環境と開発に関する国連会議:(国連環境開発会議、地球サミット、リオ会議、United Nations Conference on Environment andDevelopment、UNCED、The Earth Summit、Rio Conference)。注6)リオ宣言:(Rio Declaration on Environment and Development)。同会議において合意された27原則から成る宣言。これを実践するための行動計画「アジェンダ21」の他、「森林原則声明」、2つの国際条約「気候変動枠組条約」「生物多様性条約」、併せて5つの文書が国際的に合意された。注7)アジェンダ21(Agenda 21):21世紀に向け持続可能な開発を実現するために各国及び各国際機関が実行すべき行動計画を具体的に規定するものとして、同会議で採択。大気、水、廃棄物などの具体的な問題についてのプログラムとともに、この行動を実践する主要グループの役割強化、財源などの実施手段のあり方が規定されている。 ⑦1992年(平成4年)6月5日: 生物多様性条約注8)を採択 生物多多様性の保全、その構成要素の持続可能な利用及び遺伝資源の利用から生ずる利益の公正かつ衡平な配分を目的とした条約。注8)生物多様性条約:(Convention on Biological Diversity)。⑧1992年(平成4年)5月9日: 「国連気候変動枠組条約」注9)を採択 気候系に対して危険な人為的影響をおよぼすこと<写真1>「リオ+20」を大きく紹介した国連環境計画の広報誌1)、注1)<写真2>「成長の限界」の表紙5)<写真5>「Our Common Future」の表紙9)<写真6>「アジェンダ21」の表紙10)<写真4>「西暦2000年の地球」日本語訳の表紙