ブックタイトル実装技術1月号2018年特別編集版

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概要

実装技術1月号2018年特別編集版

581. はじめに 電子機器を作る上で電子回路基板の果たす役割は非常に重要な位置付けにあり、様々な電子回路基板が登場してきた。電子回路基板のルーツを遡っていくと早いものでは19世紀末にエッチング技術が、20世紀には、さらに様々な技術が確立され、現在の電子回路基板の製造方式へと進化していった。 電子回路基板産業の進展状況を明らかにするために電子回路基板業界の歴史を簡単に紹介し、世界の電子回路基板産業の市場動向を解析し、各国の市場傾向を明らかにする。2. 電子回路基板産業の歴史 日本における電子回路基板産業のルーツは1936(昭和11)年の宮田喜之助(発明者は宮田繁太郎)がメタリコン吹き付け配線法(写真1)の特許を出願し、特許第119384 号を取得したことにはじまり、4 球ラジオに使用された1)。 プリント配線板の実用化は1950 年半ば頃から盛んになった。背景には真空管からトランジスタへ移り、部品の小型化に伴って急増した誤配線や部品の取り付けミスの対策としてもプリント配線板は脚光を浴びるようになった。 トランジスタを使用したトランジスタラジオやトランジスタテレビの普及に伴って、プリント配線板は進展するようになった2)3)。 1955 年に日本最初のトランジスタラジオ『TR-55』(東京通信工業(現 ソニー))が発売された(写真2)。 そのラジオに初めてプリント配線板が使用されたことによりプリント配線板に関して関心が広まり、エッチング技術を保有していたネームプレート業者、めっき業者、大手電機メーカーなどが参入することになった。 その後、テレビが普及するにともない、片面プリント配線板が大量に使用されるようになった。白黒テレビからカラーテレビに移行に伴いテレビの増産に対応するために1×2mサイズの20 段の大型多段プレスが導入され、重電絶縁用の積層板の生産にも適用されたため4,300トンの能力をもつプレスであった。これは1960年代後半、日本最大のプレスであった。そして紙フェノール銅張積層板を使用して1×1mサイ世界の電子回路基板産業の市場動向写真1 メタリコン吹付配線板 写真3 カメラ一体型VTR( Sony/CCD-TR-55)とプリント回路板写真2 トランジスタラジオ(東京通信工業 TR-55)特定非営利活動法人 日本環境技術推進機構 横浜支部 青木 正光