ブックタイトル実装技術5月号2017年特別編集版

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概要

実装技術5月号2017年特別編集版

17Environment 4.0とは?環境関連技術燃焼に伴う煤煙による大気汚染現象がみられた。 1880年、栃木県・足尾銅山の鉱毒被害が著しくなり、1883年になると足尾銅山の鉱毒で渡良瀬川流域の被害が拡大し、後に足尾銅山鉱毒事件として「日本の公害運動」の原点になったといわれる。 1890 年には、鉱しの流出で、土壌を汚染し農作物に被害をおよぼし、最初の足尾鉱毒被害となった。そのため「鉱業条例( 日本坑法)」が1892年に制定された。 1893年には愛媛県・別子銅山で煙害事件も発生している。1896年、渡良瀬川で洪水が発生し足尾銅山鉱業停止の声が高まることになり大きな問題として取り上げられ、田中正造議員が足尾銅山鉱毒事件を天皇に直訴する事件が1901 年に発生し、大きな話題となる。3) 四大鉱毒・煙害事件として、以下の4つが挙げられる。① 足尾銅山② 別子銅山③ 小坂銅山④ 日立銅山  1905 年になると「鉱業条例」を「鉱業法」に代えられた。この鉱業法は欧州法を参考にしたものの鉱害被害に対する賠償規定は省略されている。鉱害や公害などが発生し、対策が実施されて規制がはじまった主なものを体系化すると表2 の通りとなる。 「自然は、沈黙した。薄気味悪い。鳥たちは、どこへ行ってしまったのか。みんな不思議に思い、不吉な予感をおびえた。裏庭の餌箱は、からっぽだった。ああ鳥がいた。と思っても死にかけていた。ぶるぶるからだをふるわせ、飛ぶことができなかった。春がきたが、沈黙の春だった」との書き出しではじまるのが、レイチェル・カーソンが1962 年に『沈黙の春』(Silent Spring)で報告され、農薬と化学薬品による生態系の死滅を描いた内容である4)。 人々に農薬や化学薬品の影響を指摘して10 年後の1972 年にはローマクラブが「成長の限界」を公表し、地球の有限性を世に初めて示したものであった。 同じ年にスウェーデンのストックフォルムで、国連人間環境会議が開催され、「人間環境宣言」を実施している。 日本では、水質が汚染されてカドミウム汚染で富山の神通川によるイタイイタイ病、水俣の水銀汚染による水俣病などが1950 年代?1960 年代に発生した。その後、新潟県阿賀野川流域に水銀中毒患者を発見され、第二水俣病も発生している。特定非営利活動法人 日本環境技術推進機構 横浜支部表2 公害関連による規制の制定