ブックタイトル実装技術4月号2017年特別編集版
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実装技術4月号2017年特別編集版
37いた時期でもあった。 また、1960 年代はカラーTVが市場を牽引する電子機器であった。 そんな市場の中で、1964 年に早川電機工業(現:シャープ)からオールトランジスター式電卓が発売され、その後、1970 年代まで電卓戦争と称して多くの企業が参入して過当競争となった。電子産業の進展ぶりを理解していただくために表1に代表的な電子機器の誕生と出来事を時系列に示した。3. 電子産業育成の施策と動向 日本で電子産業が成長した背景には、国の産業政策として電子計算機の育成を重視したことが大きく影響している。 たとえば、その主な施策は以下のようになる。① IBM360/IBM370 対抗機の開発に800 億円の開発補 助金の援助②電算機用超大規模集積回路(VLSI)の開発に291 億円の 開発補助金の援助 この時の産業政策の特色として表2に示すように?特定企業に偏らず、産業全体を振興?半導体と電算機を一体で育成?社会シナリオに基づいた産業振興といったことが功を奏して、躍進することになる1)。 ところが経済発展している真っ只中で、1973 年に石油ショックが発生した。エネルギー確保に奔走し、産業界に多くの教訓を残した。石油(油)が簡単に中東から来ると思っていたが、まさに「油断」の状態であった。1979 年にも第二次石油ショックが発生し、石油ショックから立ち直るために「省エネ対策の推進」と「産業構造の転換」であった。 つまり、エネルギー多消費型の「重厚長大」産業からエネルギー消費の少ない「軽薄短小」産業にシフトが検討された。 この「軽薄短小」は日本の電子産業界でもスローガンとなり、多くの電子機器は軽薄短小化を目指す機運となった。さらに、このころ「機械産業」と「エレクトロニクス産業」を融合した「メカトロニクス」(和製英語)が流行した。 1980 年代になるとポスト・カラーTVとして据置ビデオが登場し、さらに半導体が牽引役になり、競争激化で利益なき繁忙となった。 1985 年、プラザ合意で円高が進展し、240 円/ドルから2 年間で 120 円台へ進展し、円高対策が急務の課題となった。日本は、円高の進展に伴って海外での生産を余儀なくされ、"Made in Market"が進展した。 白物家電等は、現地生産が加速した背景があり、日本で生産する電子機器は、ある程度携帯機器などに特化した経緯がある。この頃は、「世界最小」、「世界最軽量」、「世界最薄」、「世界最短」などの製品が目白おしに商品化され、新聞紙上でも商品化した製品の広告で競うことにもなった。 例えば、携帯電話では、1グラムの軽量化競争にもなり、様々な実装技術が応用され、重量がわずか57g の携帯電話 (パナソニック/ P208)も日本で商品化された。1)1. 軽薄短小化技術の進展 1970 年代後半には、多くの軽薄短小技術を応用した電子機器が日本で商品化され、海外に向けて供給された。 その代表格ともいえるのがヘッドホンステレオで一般名称にもなったソニーの『Walkman』である。音楽を「外に持ち出して聴く」スタイルを創造し、世界で大ヒットした。さらにゲーム機では任天堂のファミコンも登場し、これも世界で売れた。 そして、ポスト・カラーTVとして登場したのがビデオ表2 日本の電子産業への主な施策 (VTR=Video Tape Recorder)であった。VHS