ブックタイトル実装技術6月号2016年特別編集版
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実装技術6月号2016年特別編集版
35日本におけるプリント配線板製造の繁栄と現状プリント配線板製造の動向に使われコンピュータも作られた。しかし、デジタル回路とリレーは接点がオンオフで、それ自体デジタルで動作をするので、コンピュータの開発の時の素子として利用を考えるのは必然である。 図1は能動素子の変化と適用されたプリント配線板の推移を示したものである1)。 プリント配線板の発明は1936 年ごろであるが、実際に使われたのはトランジスタの実用化の後で、有機樹脂ベースのプリント配線板がある。 当時、筆者の経験では社会インフラストラクチャ用の装置に用いられた能動部品はリレーが電話の自動交換装置、真空管が局間の伝送装置に使われていた。自動交換装置はデジタル機器で、集積回路(LSI)の開発が進むにつれて、電子交換装置に用いられたが、LSIの適用はコンピュータの開発が進んでからである。伝送装置はディスクリートのトランジスタを適用することが比較的早く進められた。 リレーはデジタル素子ということで、電子計算機の初期の開発に用いられたが、その後、能動素子はパラメトロン、ディスクリートのトランジスタ、集積回路であるSSI, MSI, LSIと変化し、VLSIが主役となって現在に至っている。 プリント配線板はトランジスタやLSIの機器の開発の進みと並行して用いられており、はじめは片面板が作られたが、素子の小型化、集積化とともに、高度化し、高度の多層プリント配線板を実現している。 プリント配線板の生産量の推移 日本におけるプリント配線板はトランジスタの機器の開発に従って開発、生産されており、はじめは1961 年ごろより立ち上がってきたと考えられるが、統計が無い。図2に示すように、統計がとられたのは、JPCAが設立された後で、素子の変化に応じ発展している2)。この図はJPCAの資料と対応して半導体素子とプリント配線板のレベルを加えて示したものである。 途中変化はあるが、2009年頃までは半導体素子の変化にしたがい、プリント配線板も変化し、生産量も増大した。その後、急速な海外生産の増大、エレクトロニクス産業の構造変化で、国内でのプリント配線板の生産が減少している。 このあたりの変化について、インフラストラクチャの電子機器を中心にその変化とともにプリント配線板の変化を見て行く。髙木技術士事務所3図2 日本国内におけるPWBの生産額 (出展 : JPCA 日本の電子回路産業2015)