ブックタイトル実装技術3月号2016年特別編集版
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実装技術3月号2016年特別編集版
45などが功を奏して、西の果ての八幡村に決定したのである。 官営八幡製鐵所が1901 年に操業を開始した八幡村で、日本の近代産業は幕を開けた。官営八幡製鐵所の設置以来、この北九州工業地帯には鉄鋼のみならず化学、セメント等の素材型産業が集積していった。この場所は「明治日本の産業革命遺産」の一部としてユネスコから2015年に日本の産業近代化の歴史が世界文化遺産に決定した。 北九州工業地帯は、四大工業地帯の一つとして日本の高度成長を支えてきたが、そのいっぽうで、1960 年代に深刻な産業公害をもたらした。筆者は、1960年代に北九州市・戸畑区に4年間、住んだ経験があり、居住区の近くには鉄鋼企業の関連の化学会社もあり、時折、風向きによっては臭気もあって、環境は決して良い状態ではなかった。 この当時は、生産性を高めて工業力をあげるのに重点化していたので、臭気があっても疑問にも思っていなかった。 実は、戸畑区に住む前は山口県の宇部市に住んでいた。宇部市も石炭産業、化学産業、セメント産業などで発展した市である。当然ながらその当時、大気は汚れ、動物の鼻には鼻毛がないのが一般的であるが、宇部市に開園した動物園の猿には鼻の中に毛が生えた程、空気が汚れ、死亡した猿を解剖したら肺が真っ黒になっていたという。それほど、環境が汚染されていたのである。そのような市に住んでいたので戸畑区に住んで、臭気があっても、それほど違和感はなかったのだ。 違和感のなかったことを裏付けるものとして次の例を紹介する。北九州市に合併する前の八幡市の市歌には、次のように謳われていた。 焔炎々 波濤(はとう)を焦がし 煙もうもう 天に漲(みなぎ)る 天下の壮観 我が製鉄所 八幡 八幡 吾等の八幡市 市の進展は 吾等の責務 八幡市歌二番図3 東田第一高炉図4 トーピード・カー<産業遺産> 炉頂に掲げられる「1901」は、東田第一高炉に歴史的な火入れした明治34年(1901年)を示す。我が国初の銑鋼一貫型の製鉄所である。建造技術を持たなかった我が国は、ドイツから技術者を招き4年の歳月をかけて当時の八幡村に建造した。その後は、改修を繰り返しながら鉄を造り続け、1962年にわが国最初の超高圧高炉として現在の姿になった。天空を指して峻立する巨大な高炉は、まさに近代技術の結晶で、わが国を代表する産業記念碑であるとともに北九州の原点である。1996年3月27日に文化財(史跡)に指定される。一帯は企業内公園を経て1999年に「東田第一高炉史跡広場」として北九州市指定史跡に指定され、一般公開を開始している(図3、図4)。■所在地……北九州市八幡東区東田2-3-12