ブックタイトル実装技術1月号2016年特別編集版
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実装技術1月号2016年特別編集版
52 明けましておめでとうございます。新年は景気の良い話から始めよう。 世界の半導体業界は、スマホなどの伸びに乗って着実に発展しているが、日本のシェアは下がるいっぽうで底が見えない。その中にあって、東芝のNANDフラッシュメモリ、ロームのLSI、日亜化学のLEDなどキラリと光る例があるが、何といってもイメージセンサを中心としたソニーの半導体事業の右に出るものはないであろう。ルネサスの山形工場や東芝の大分工場の買収など、不振の日本半導体にとって救世主的な働きも行っている。画期的な裏面照射イメージセンサの開発者の一人である業務執行役員SVP の平山照峰氏に、非常にお忙しい中を突撃取材した。1. イメージセンサビジネス ソニーのイメージセンサについて詳しく述べるとともに、この際、イメージセンサの技術についても読者の皆様とともに勉強しよう。1. ソニーにおけるCCDイメージセンサの歴史 第2 次世界大戦が終わった翌年の1946 年に東京通信工業(後のソニー)が設立され、1955 年にトランジスタラジオの発売を開始し、次いで1960 年にはテレビのトランジスタ化に成功して、全世界を相手にエレクトロニクス時代を切り開いて行った。そこで培った半導体技術をもって、CCDイメージセンサの開発を始めた。CCDは1970 年にベル研究所で発明されたが、ソニーでは1973 年にCCDイメージセンサの開発プロジェクトが発足している。しかし、当時の半導体生産ではクリーンワーキングがまったく不十分だったため、画像欠陥の多いチップばかりができて大変な苦労をした。1980年には少量なら生産できるようになり、全日空のジャンボジェット機にCCDカメラを搭載して機外の風景を映すのに用いられ、世界初の固体カメラの実用化となった。1980年代の中頃には歩留りも向上して量産できるようになり、世界の先陣を切って家庭用ビデオカメラを普及させた。なぜソニーがイメージセンサで世界をリードできたのか、いくつか理由はあるだろうが、もっとも重要と思われるのは目的が明解であったことであろう。すなわち、「相手はコダックだ」。当時、画像技術では銀塩フィルムが用いられ、コダックが世界の巨人として君臨していたわけだが、これをエレクトロ二クス化する、すなわち、化学産業から電子産業への転換を図るのが大きな目標となっていた。そして、その目標は見事に達成され、ビデオだけでなく、スチルカメラも電子化され、トランジスタ化によって真空管産業が消滅したように、イメージセンサにより銀塩フィルム産業がなくなった。2. CCDからCMOSへ 現在、イメージセンサといえば、100%近くCMOSであり、CCDはごくわずかである。15 年ほど前まではCCDが優勢であったが、それ以後CMOSに切り替わった。CCDもCMOSも、光がフォトダイオードに入射し、電子・正孔が発生してそれを読み出すという点では同じであるが、読み出し方に差がある。図1 左は、CCDイメージセンサの構造と信号の読み出し方である。5mm 角ほどのSiチップに、フォトダイオードが1000万個程度敷き詰められており、光が入射すると光量に応じた数の電子と正孔が発生する。フォトダイオードに溜まった電子または正孔は、ゲートを開いて全画素を一斉に垂直伝送CCDに移され、時間を掛けて(例えば1/60秒)、出力部で全画素を読み出す。いっぽうCMOSは、図1 右に示すように、各画素に増幅回路があって読み出す前に光信号を増幅する。読み出しは、各画素毎に画素選択スイッチをONにして順番に読み出す。CMOSは、多くの配線と繋がっているためノイズが入り易く、光が弱くて信号量が少ない場合はノイズが目立ってしまい感度が悪くて実用にならなかったが、LSI の微細化技術が進んだために小面積の増幅回路を各画素に設けてノイズが混入する前に増幅することができるようになり、厚木エレクトロニクス / 加藤 俊夫シリーズ・企業訪問 きらりと光る優良企業(第12回)不振の日本半導体業界にあって孤軍奮闘、ソニー(株)の半導体事業