実装技術5月号2012年特別編集版 page 21/40
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19『地球環境』を守るための施策を探るものづくりにおける環境対応の諸動向を探るNPO 法人 日本環境技術推進機構 横浜支部5による意見公募が実施され、2008 年10 月28 日、2010 年1 月13 日、2010 年6 月18 日、20....
19『地球環境』を守るための施策を探るものづくりにおける環境対応の諸動向を探るNPO 法人 日本環境技術推進機構 横浜支部5による意見公募が実施され、2008 年10 月28 日、2010 年1 月13 日、2010 年6 月18 日、2010 年12 月15 日、2011 年6 月20 日、2011 年12 月19 日にそれぞれ高懸念物質のリスト(附属書 XⅣ)に収載され決定されたその総数は現段階では73 物質となった10)。 この高懸念物質を、製品に0.1 %以上含有していると情報を開示する義務が発生し、結果的には、サプライチェーン上に位置する企業は川下企業からの問合せが始まると45 日以内に回答が必要となる。 次から次へと公表される高懸念物質に関して、製品に使用している材料や部品などに含有していないかの確認が必要となる。つまり、常日頃からの化学物質の管理が重要となることを意味し、各企業はデータベースを作成しての管理が必要となってきた11)。 エネルギー問題とその対処方法 2011 年3 月11 日に発生した東日本大震災は、日本人に対して考え方を変えないといけないと思うような大きな教訓をもたらした。地震で発生した津波によって多くの家屋が流され、そして福島原発事故へとつながり、甚大な被害をもたらし、今もって福島原発は収束に至っていない。 原発事故によって原発の安全神話はもろくも崩れ去った。2011 年の夏は電力不足によってエネルギー問題が浮上した。今や、基本に戻って考え直さないといけない時期となってきた。 被災してすでに1 年が経過し、復興が大きな課題として残るものの、被災地を美しい自然が蘇るように、また誰もが住みたいと思える町を築くことも重要である。 ただ単に復旧する従来型の町づくりではなく、環境との共生や循環型社会の視点で、復興して震災前を超える経済発展を実現することが必要である。それを実現するには、まず目の前の震災がれきを資源として活用してリサイクルし、かつ付加価値の高いエコビジネスへとつなげることも大事である。 塩害となった農地の回復には膨大なコストと時間がかかることも想定される。別の見方として広大な塩害の土地を太陽光発電設備としての利用も解決案の一つかもしれない。あるいは、塩害に強い植物を植えて食料にするのではなく、バイオエタノールの原料に使い、バイオエタノール製造の化学工場を建設することも復興策の一つかもしれない。 ここで改めてエネルギー問題に焦点にあてて、環境問題に絡めてオイルショック後の対応に果敢に挑んだデンマークの事例を紹介することにより、新たな取り組みへのヒントとなるのではないかと思う。1. デンマークのエネルギー問題解決の歩み デンマークといえば、平坦な土地で酪農の国、というイメージをもたれているのではないかと推察される。このデンマークは、1973 年のオイルショックの時、エネルギー供給の約98 %を輸入したエネルギー源に依存しており、エネルギー自給率はたったの約2 %であったという。またこの当時は日本も同様に海外にエネルギーを依存しており、まったく同じ環境であった。石油に依存していた環境下だったのである。そのため、『油』を断つことは、まさに『油断』を意味することであった。 1973 年当時、デンマークの電気エネルギー事情は、国土に渓谷らしきものが存在しないため水力発電はないため、石炭火力発電と石油火力発電によって得ていたのである。 同国では石油危機から間もない1976 年5 月、国外の産油国への依存度を低減することを目的とした『エネルギー計画 1976 年』の政策を公表した。その骨子は、 ①北海油田の開発 ②発電余熱と天然ガスを利用した給湯計画の実施 ③補助金制度を導入した省エネの奨励 ④エネルギー税の導入といったものであった。 エネルギー自給率が低く、石油の依存度が高いことから、1970年代の石油危機を契機としてエネルギー自給率を高めるため北海油田の開発や効率化/省エネの推進などを検討することになったのである。 実はデンマークでは、第1 次オイルショック直後の1973 年、エネルギー不足を補うため電力会社では国内の15 カ所に原子力発電所を建設する計画があったものの、1979 年に発生した米国スリーマイル島原発事故の発生によって、世論は原子力発電に頼るのではなくその放棄に傾き、1985 年には原子力発電に依存しない公共エネルギー計画を議会が